BIG LIFE

あなたのつま先がいつも希望へ向かいますように

親が求める子どもの幸せが、子どもの求める幸せとは限らない。

やはり世代間で生き方に大きな考え方の差があるのか。

祖母や母、僕のこの3世代だけを見ても生き方の考え方は大きく異なる。

 

僕たちの世代がいい、昔はよかったときょうびの若いもんはと口癖のように言われる諸先輩がたのように言うつもりはない。

 

それでも僕はやはりこの親、祖父母の影響を違和感を感じながらも強く受けている。

その原因をやっと知ることになった。

それは「」を生きているか。「未来」を見ているか。

昔はああだった、こうだったの話はわかったからこれからの話をしよう。

もし家族にこう言われたらこれからの話をしようと返してみてほしい。

 

いい大学を出て就職をして結婚をして・・・

確かにそれも悪くはない。ある意味ではスタンダードの人生モデルなのかもしれないが、それが自分の幸福なのかは話が別だ。

 

先日叔母が何気なく

「結婚しておばあちゃんを安心させてあげるなんて思わないの?」

と、普通の会話としてさらりと言われたわけですが

「おばあちゃんを安心させることが僕にとっての幸せじゃないから」

と答えた。 

少しひねくれた物の言い方だったことは自分でも感じている。

したくもない人と結婚をし子どもを授かり幸せそうな家庭を築くこと。

人それぞれいろんな生き方があると思う。

お見合い結婚で今でも夫婦仲良く暮らしている人も知っているし、未婚でも幸せに暮らしている人も知っている。

 

この叔母の言葉を聞いたとき、

この叔母も祖母(自分の母親)の影響を強く受けている人なんだなと冷静に判断できたのはさっき書いた違和感の正体がわかっていたからだ。

 

母はいつも僕のやりたいことを応援してくれている。

僭越ながら僕の影響で本を読むようになったし、テレビも見なくなった。

自分の人生の夢をお互い語り合えるいい関係になったと感謝しながらも思ってはいたのだが先日、たまたま映っていたテレビで僕と同い年くらいの青年が海外で事業をしているドキュメンタリーが放送されていた。

 

そのときにふと言った母の一言

「この人みたいに大きなことやってほしいなあ」と僕に言った。

僕は

「僕がもし海外で何か事業をやりたくなったら考えるわ」と。

これもひねくれた物言いだったのだろうか。

 

この人みたいに。。。

人生色んな生き方があることは本を読むのが大好きな僕が本から学べたことの一つである。

歴史の本も偉人の本もよく読む。

もちろん坂本龍馬さんと僕が同じとは決して思わない。

だけども、龍馬さんも僕ではない。

龍馬さんには龍馬さんの成し遂げたいこと、やりたかったことがあるはずだ。

僕には僕の目標ややりたいことがたくさんある。

母もまた祖母の影響を強く受けていると再確認した一瞬だった。

 

祖母は戦時中の生まれであるから、食べるのに苦労した人である。

中学校に行っていなし、字をまともに書けない。

だけど、あの激烈な時代をよく生きてこられた、僕はそのことだけでも尊敬に値すると思っている。

唯一尊敬できない部分は言葉に魅力がないことである。

昔はこうだった、昔は大変だったという話は充分に聞いたから楽しかったことや嬉しかったことを聞かせて欲しいと言っても言葉に詰まってしまう祖母を見て物の見方や考え方に魅力がないと感じてしまう。

 

学歴にコンプレックスがあるからか、大学という場所に崇高な幻想を今だに抱いている。

だからなのか僕が大学に進学したときもたいそうに喜んでいた。

結局、僕自身何のために通っているのかわからなくなり大学を退学した。

 

世間体や人の目を気にしすぎるあまり、自分の本当にやりたいことを我慢して隠してまで生きるような生き方は自分の生き方ではない。

むしろ外れていると思われているなら大歓迎である。

人が自分のことをどう思うかなんていちいちき気にしていられない。

僕が幼い頃に坂本龍馬さんを好きになったのは信念を貫いたところだった。きっと江戸まで行って剣術の目録をもらって土佐に帰ってきたとき、家族は道場を開いて結婚してなんて思っていたと思う。

そんな龍馬さんは脱藩までしてしまう。

「世の人は我を何ともいわば言え、我なすことは我のみぞしる」

龍馬さんが残した言葉で今でも僕の胸に響いているこの言葉。

 

僕の子どもの顔を見せてあげたいとも思うし、結婚して家庭を築くことを安心と感じるならその景色を見てもらいたいとも思う。

もともと天邪鬼な性格だから素直じゃないとはよく言われるが、そういった感情は僕にもある。

だけど、結婚がゴールでもないしご縁がある人と結婚もするであろう未来はいつかなんて誰にもわからない。

ひとりで幸せな人は結婚しても幸せだろう。

誰かに幸せにしてもらいたいと思っている間は結婚しない方がいい。

結婚はあくまで通過点でゴールではない。

 

自分の本当の人生を生きようと思った瞬間にドリーム・キラーが現れる。

逆にドリーム・キラーが現れたとしら自分の生き方を進む第一歩を歩み始めたことになる。

僕の祖母、母、叔母をドリーム・キラーとは言いたくないがこのような人の言葉を聞いてブレるようなら自分のやりたいこともその程度だということだ。

 

人に優しくしなさい、困った人を助けなさいという教育は日本人の教育の根幹だと思うが、自分の人生を生きるために必要なこと。それは「親切」ある。

読んで字の如し、親を切ると。一線を引くこと。

これをすればブレることもないし、相手も認められる。

 

日本国内だけでも一億人誰にでも徳川家のような家系図がある。

あなたにもお父さん、お母さんがいて、その両親にもまた両親がいて。

そう考えると自分を蔑ろにして生きていいはずなんてない。

家系図で誰かぶっ飛んだやつがひとりくらいいてもいいはずだ。

ご先祖様を大切にしながらも、

「おお、うちの家系にもなかなかおもろいやつでてきよった」

なんて思われたらどうだろう。

 

受け継いできた命のバトンを絶やしたくないともちろん思う。

だけど、あくまでそれは自発的でありたい。

 

こういうネタを書いている、自分の思いを整理するために文に残しているということは少なからず僕も祖母の影響を受けているのだろう。

 

だけど改めて思う。

親が求める子どもの幸せが、子どもの求める幸せとは限らない。

親は親、自分は自分。

どこまでも自分らしく生きていくにはある意味、強い覚悟が必要だ。

祖母から脈々と受け継ぐ「過去に囚われる生き方」を僕の代で終わらせよう。

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